Webクリエイターの「目」と母親の話。
産後、全然仕事ができなくなってしまったクリエイターの与太話
産後、全然仕事ができなくなってしまったクリエイターの与太話 - はてな匿名ダイアリー
もし、明日目が見えなくなったら
だって、目が見えなかったら、編集出来ないじゃないですか。
これは、私が除光液で角膜を失いかけた過去があって「あした、目が見えなかったらどうしよう」って考えたわけだけど、
「仕事したいけどできない」みたいな状況って私の中ではそれしかないのよね。
前述のブログ記事ように「母親になることでギフトが『降りて』こなくなった」みたいな状況って、現実味がなくて、大変、大変失礼な言い方をすると「花畑脳乙と鼻でせせら笑ってい」る部類になっているのかもしれない。
「ギフト」と「インプット」
子供ができて、この人は子供を愛しているわけで、子供は必要だと思っている。でも、自分には満足できていない。
>もう好き放題やってていい人間じゃなくなったのは確かなんだから、働き方を変えて、効率の良いインプットの仕方に変えるしかないじゃないの。
「好き放題」ってあるけど、この人が子供産む前ってすごく仕事できる人だったと思う。
そうじゃないとこんな文章書けないし、今の自分を「だらしない」って表現してるなら、少なくとも過去はインプット→アウトプットできている彼女であったはず。
それを「ギフトに頼っていた」という表現をするならば、感性で仕事をしていたのかしら。
>自分が心底作りたいと思える良いものがアウトプットできていたのは、
>間違いなくあの無意識にインプットし放題な時間があったからなのだと今ならわかる。
無意識なインプット
>働き方を変えて、効率の良いインプットの仕方に変えるしかないじゃないの。
私が思うのは、きっと大学卒業してからの20代におけるインプットもしくはインプット方法の構築って人生を左右するものなんじゃないかってこと。
この人は過去やっていたインプット→アウトプットの再現ができなくて、苦しんでる。私は、はたして母親になったとき25歳のインプット→アウトプットを保っていられるのだろうか。
必ずしも保つ必要はないけれど、クリエイターとして、インプット→アウトプットのフローを形として自分の中で残しておいたほうがいいんだろうね。
母親×息抜き
以前、子持ちのお母さん社員が「子供が生まれた頃は、休日は親に預けて1人で喫茶店でお茶をたのしむのが何よりの幸せだった」と言っていて、
「母親はずっと母親なんだから、母親の役割を果たさなきゃいけない」って。それはそうなんだけど、
お母さんだって愚痴言いたくない?(ーー;)
色々ミユカルも仕事をしてわかったのですが、24時間仕事をすることはできても、24時間「考え続ける仕事」はできないのよね。
作業はできるけど、編集方針の可視化や事業構想は仕事を続けることで「降りて」くるものじゃない。
何が言いたいのかっていうと、
世の中のお母さんたちもっと息抜きしようよ……
母親の自分とクリエイターの自分をうまく切り分けてダブルでインプット→アウトプットできたらいいのだろうけど、
そんな器用な人たちだけが世の中の全てとは思えないので
世知辛いなぁ、世の中は。
ちなみに、母親クリエイターでも働きやすいサムライトという会社が人を募集しているようですよ!!!
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オチがコレでごめんなさいw